14階がここに

正しい事はわかっている。

やるべき事もわかっている。

迷うかもしれないけれど、既に散々迷ったけれど、必ず帰ってくると自分でもわかっている。

ずっとずっとわかっていた。

わかっているゆえに苦しかった。

苦しくなるとは予想していなかったから、大変だった。本当に困った。途方に暮れた。

 

冷めた心と思いきや、冷静沈着できちんと大切なものを見極めることができるようになったのかもしれないよ。

人は人でね。

違うの関係ないの。

この命を差し出してでも。

常にそういう覚悟で生きているはずだということをうっかり忘れる。

思い出して毎日。

 

死にたいのは。

結局両方を包含した状態で話せる対象なんて、どこにも無い。

なんてことは無い。

ひとつだけ、あるから、ちゃんとあるから、だからそれを忘れてはだめ。

泣いてもいい叫んでもいい、信じて愛して。

 

アタマが忙しそうでそうでもない。

11/9に東京に来て、毎日のように伯母の入院している病院に通い、5日間地元に帰って病院に行ってからまた戻ってきた。

あと1週間でまた地元に帰る。

年末年始を向こうで過ごし、その先のことはまだわからない。

 

で。

今日一番の収穫があった。

収穫というのは精神的収穫。

元々、自分の居たところ、本来居るべきところ、だいぶ忘れかけていたけれど、完全に忘れていたわけじゃない。

そりゃそうです。だって20年。

気づかされたから。

 

いつかSNSをやめ、自分が集中すべきものに打ち込んでいくよ。

少しずつだがたまには無理もしなきゃならないのか、ちょっとその辺はよくわかりません、今はまだ。

死んでる場合じゃなくて、でも死のうかなってなる。

そういう感情は適当に飼い慣らして、死ねるかもしれないし生きてしまうかもしれないし。

 

楽しくない。

でも世の中に楽しいことなんてある?

歪んでるから楽しいはずのことも、別にこんなのなくても死ねたらそれが一番私は幸せだよって思ってしまう。

 

大変良い気づきがあったことについて書いていたはずがいつのまにかまた希死念慮の話になっている。

いつか過去をすべて忘れられる日が来る。

あんな無駄な無駄な無駄な無駄な…すべて。

でも深夜だからどうしても死に軍配が上がっちゃうよ。

いいよ、別に。

 

目を手を心を

舞台は6年前の屋上。

あの頃は何かにつけて屋上。

屋上くらいしか話せる場所がなかったからだろうけど。

それだって入れ替わり立ち替わり人がやって来たりはするし、噂にもなるだろうね、あんな狭い中で。

働きにくかっただろうね、すまない。

 

叶わない夢が

地上にある

届かない願い

空に還る

 

ぼくら愛し愛されて

その歴史が本当なら

今 独りで泣いてる

意味はどこに

 

それでしかなかった。

涙が止まらないから、いま屋上にいるってメールが来たら必ずタオルを持って行ってた。

メールってところがね、6年前だよね。

LINEじゃないんだよ、そんなものまだ一般に普及してなくてみんな当たり前にガラケーでさ。

 

彼の名前でメールが来る。

開くまでの時間。

ああいうの、独特で、つくづくメールの時代にやり取りしていた記憶が残っていて良かったなって思うよ。

幸せだった頃も、悲しくなってからも。

 

「成長しなきゃね、お互い」

2年前に彼が結婚したことを知った時、これまた屋上で話していて、私は当時の仕事の話などをして、その時に言われた言葉です。

大好きな人の言うことはすぐ聞くから、うん!成長する!って素直に思ったよ。

 

生きてるんだからいいでしょ。

それも立派な成長だよね。

Strength

いつまでだってそばにいたい

いつまでたってもいたい

何年経っても変わらず君を見守りたい

姿形を変えても 過ごすときを超えても

いつもそう同じように 思うよ

 

 

大好きなんです。

幸せでいっぱいの記憶。

それだけで良かった。

生まれて生きてきた意味はあった。

と思うくらい。

 

腕をズタズタにしてもね、それはさ、生きる方法なので。

それをわかってくれているっていうのは本当に本当に…。

期待も何もしないけど、でも頭だか心だかのどこかでやっぱり、私を見抜いてって思ってる。

そしておそらく、見抜かれている。

だから。

 

縋り付くこと。

それが良いのか悪いのか或いはどちらでもないのか、はたまた両面を持ち合わせているのか。

でも少なくとも今の私には圧倒的に良いとしか。

一昨年の10月、ボロボロになりながらもどれだけ助けられ救われたか。

ずっと、ついていく。

 

 

深夜にパン食べる

気づき:

最近の私はだいぶ現実と折り合いをつけられるようになってきたなと感じる。

もっと若い頃はそれができなかった。

仕事は完全にストレスフリーでなければ、生活は常に幸せで満たされていなければ、さらに具体的に上げればキリがなくつまり自分の人生に対して完璧主義だったのだと。

だから少しでも自分の理想からずれると、こんなはずじゃなかったとか現状打破してもっと完璧に素晴らしい日々にしなくちゃとか、でもなかなか思い通りにいくものでもないし。

それに気づくまで何年もかかったけど、やっぱり結局は年齢が上がったからというのが大きいのかなあ。

良い意味での諦念、それを持つと生きるのが少し楽になる。

 

一番しんどかったのは20代後半で、それはまあ鬱発症したのが24だったからそこから闘病がスタートしたわけだしだからしんどくて当然なんだけど、それだけじゃなくてなんかどれもこれも諦めたくないし何もかも取り戻したいし、でも頑張ったってどうしようもないものばかりで。

でも諦めきれない。

20代が終わりに向かっていくことへの焦りも激しいし。

 

でもなんか今は、そんなのもういいや。

当たり前だと思ってるけど当たり前じゃない幸せがどれだけたくさん身の回りにあるかって、最近やっと気づいた。

だからね、それを大切にしていきたい。

パン美味しかった。

寝なきゃ。

6年、そしてこれからも続く

ハッキリと別れた日付けを覚えているわけではないのですが。

何度も何度も話し合いをして、それこそ屋上で何度も。

毎晩のようにそれを繰り返してお互いもう疲れ切ってしまって終わったという風な。

決定的にもうこれはダメだなと感じた重くてしんどくてどうしようもない話し合いが10月3日だったような、計算上その日に当たるようなので一応この日を1年ごとの区切りにしている。

今年もその日を迎えた。

 

誰かのために生きられるなら?

なにもこわくはない?

などとGET WILDが。

 

私は別に彼のために生きているわけではないし、彼も私にそんな想いを抱かれたままでいるのは嫌だろうし。

ただ自由なんです。

私がどうあろうと。

何を考え何を思おうがそれはもう彼には関係のないことでだから何一つ問題などないのでは。

構わないでしょ、大切に持っていても。

貴方には、貴方には関係無いのだから。

 

人生の取捨選択。

私たちは強くそして儚い。

でもやっぱり強いはずだよ。

強く儚い者たちの終わり

アパートは重機で壊され整地されそこに新しく家が3軒建っていたのでした。

 

記録の重要性を改めて感じたので続ける。

自分について分析しすぎてもあまり意味がないけどとりあえず少しでもラクになりたい。

だから。

生きなきゃ。

まあそれはわかってるんです。

本当に死にたいわけではないのに勝手に脳が死にたくなるんだよな。

それがめっちゃ邪魔です。

頑張ります。

 

人が見ていないと思うと本音が書きやすいですね。

Twitterでは暗いことばかり呟いているけど本音は、妹生まれてきてくれて仲良くしてくれてありがとう、姪生まれてきてくれて懐いてくれて可愛い笑顔をありがとう、お母さんきょうだいを生んでくれてありがとう、という気持ちです。

家族の男チームに対しては畏敬の念が半端ないです。

とても忍耐強く冷静で賢く優しいお父さんと弟にもありがとうという気持ちです。

私だけがポンコツで申し訳ないですわ…。

 

甘ったれていてはいけないっぽいけど、しかし甘えるための家族ではないでしょうか。

と、開き直ってしまうくらいにはつらそうでした、さっき去年の冬からの病院用ノートを読み返していたらアンタ辛いのに身体にも心にも鞭打って頑張ってるしもう死んでラクになっていいよと思いました。

ガチで労働に打ち込みすぎたというかああいうのは引き受け始めると止められなくなる、というのは遠い昔によくわかっていたはずなのに。

なんで懲りないんだろう。

いや単純に忘れるんです。

自分のキャパの少なさ狭さを忘れてはいけない。

 

本物の引きこもりになりたくないかどうか考えたけどどうでもいいなと思いました。

社会に出てなんとか日々を回していても絶望してしまっていたら何の意味もないのでは。

あくまで私の場合です。

何事も深く考えすぎるとロクでもない方に行きがちなのでやめます。

カステラを食べます。

そして世界に束の間のサヨナラ。

 

病院行かなきゃ…う…外に出たくなさであのアパートがもう一度建ちます。

やったね。