目を手を心を

舞台は6年前の屋上。

あの頃は何かにつけて屋上。

屋上くらいしか話せる場所がなかったからだろうけど。

それだって入れ替わり立ち替わり人がやって来たりはするし、噂にもなるだろうね、あんな狭い中で。

働きにくかっただろうね、すまない。

 

叶わない夢が

地上にある

届かない願い

空に還る

 

ぼくら愛し愛されて

その歴史が本当なら

今 独りで泣いてる

意味はどこに

 

それでしかなかった。

涙が止まらないから、いま屋上にいるってメールが来たら必ずタオルを持って行ってた。

メールってところがね、6年前だよね。

LINEじゃないんだよ、そんなものまだ一般に普及してなくてみんな当たり前にガラケーでさ。

 

彼の名前でメールが来る。

開くまでの時間。

ああいうの、独特で、つくづくメールの時代にやり取りしていた記憶が残っていて良かったなって思うよ。

幸せだった頃も、悲しくなってからも。

 

「成長しなきゃね、お互い」

2年前に彼が結婚したことを知った時、これまた屋上で話していて、私は当時の仕事の話などをして、その時に言われた言葉です。

大好きな人の言うことはすぐ聞くから、うん!成長する!って素直に思ったよ。

 

生きてるんだからいいでしょ。

それも立派な成長だよね。

Strength

いつまでだってそばにいたい

いつまでたってもいたい

何年経っても変わらず君を見守りたい

姿形を変えても 過ごすときを超えても

いつもそう同じように 思うよ

 

 

大好きなんです。

幸せでいっぱいの記憶。

それだけで良かった。

生まれて生きてきた意味はあった。

と思うくらい。

 

腕をズタズタにしてもね、それはさ、生きる方法なので。

それをわかってくれているっていうのは本当に本当に…。

期待も何もしないけど、でも頭だか心だかのどこかでやっぱり、私を見抜いてって思ってる。

そしておそらく、見抜かれている。

だから。

 

縋り付くこと。

それが良いのか悪いのか或いはどちらでもないのか、はたまた両面を持ち合わせているのか。

でも少なくとも今の私には圧倒的に良いとしか。

一昨年の10月、ボロボロになりながらもどれだけ助けられ救われたか。

ずっと、ついていく。

 

 

深夜にパン食べる

気づき:

最近の私はだいぶ現実と折り合いをつけられるようになってきたなと感じる。

もっと若い頃はそれができなかった。

仕事は完全にストレスフリーでなければ、生活は常に幸せで満たされていなければ、さらに具体的に上げればキリがなくつまり自分の人生に対して完璧主義だったのだと。

だから少しでも自分の理想からずれると、こんなはずじゃなかったとか現状打破してもっと完璧に素晴らしい日々にしなくちゃとか、でもなかなか思い通りにいくものでもないし。

それに気づくまで何年もかかったけど、やっぱり結局は年齢が上がったからというのが大きいのかなあ。

良い意味での諦念、それを持つと生きるのが少し楽になる。

 

一番しんどかったのは20代後半で、それはまあ鬱発症したのが24だったからそこから闘病がスタートしたわけだしだからしんどくて当然なんだけど、それだけじゃなくてなんかどれもこれも諦めたくないし何もかも取り戻したいし、でも頑張ったってどうしようもないものばかりで。

でも諦めきれない。

20代が終わりに向かっていくことへの焦りも激しいし。

 

でもなんか今は、そんなのもういいや。

当たり前だと思ってるけど当たり前じゃない幸せがどれだけたくさん身の回りにあるかって、最近やっと気づいた。

だからね、それを大切にしていきたい。

パン美味しかった。

寝なきゃ。

6年、そしてこれからも続く

ハッキリと別れた日付けを覚えているわけではないのですが。

何度も何度も話し合いをして、それこそ屋上で何度も。

毎晩のようにそれを繰り返してお互いもう疲れ切ってしまって終わったという風な。

決定的にもうこれはダメだなと感じた重くてしんどくてどうしようもない話し合いが10月3日だったような、計算上その日に当たるようなので一応この日を1年ごとの区切りにしている。

今年もその日を迎えた。

 

誰かのために生きられるなら?

なにもこわくはない?

などとGET WILDが。

 

私は別に彼のために生きているわけではないし、彼も私にそんな想いを抱かれたままでいるのは嫌だろうし。

ただ自由なんです。

私がどうあろうと。

何を考え何を思おうがそれはもう彼には関係のないことでだから何一つ問題などないのでは。

構わないでしょ、大切に持っていても。

貴方には、貴方には関係無いのだから。

 

人生の取捨選択。

私たちは強くそして儚い。

でもやっぱり強いはずだよ。

強く儚い者たちの終わり

アパートは重機で壊され整地されそこに新しく家が3軒建っていたのでした。

 

記録の重要性を改めて感じたので続ける。

自分について分析しすぎてもあまり意味がないけどとりあえず少しでもラクになりたい。

だから。

生きなきゃ。

まあそれはわかってるんです。

本当に死にたいわけではないのに勝手に脳が死にたくなるんだよな。

それがめっちゃ邪魔です。

頑張ります。

 

人が見ていないと思うと本音が書きやすいですね。

Twitterでは暗いことばかり呟いているけど本音は、妹生まれてきてくれて仲良くしてくれてありがとう、姪生まれてきてくれて懐いてくれて可愛い笑顔をありがとう、お母さんきょうだいを生んでくれてありがとう、という気持ちです。

家族の男チームに対しては畏敬の念が半端ないです。

とても忍耐強く冷静で賢く優しいお父さんと弟にもありがとうという気持ちです。

私だけがポンコツで申し訳ないですわ…。

 

甘ったれていてはいけないっぽいけど、しかし甘えるための家族ではないでしょうか。

と、開き直ってしまうくらいにはつらそうでした、さっき去年の冬からの病院用ノートを読み返していたらアンタ辛いのに身体にも心にも鞭打って頑張ってるしもう死んでラクになっていいよと思いました。

ガチで労働に打ち込みすぎたというかああいうのは引き受け始めると止められなくなる、というのは遠い昔によくわかっていたはずなのに。

なんで懲りないんだろう。

いや単純に忘れるんです。

自分のキャパの少なさ狭さを忘れてはいけない。

 

本物の引きこもりになりたくないかどうか考えたけどどうでもいいなと思いました。

社会に出てなんとか日々を回していても絶望してしまっていたら何の意味もないのでは。

あくまで私の場合です。

何事も深く考えすぎるとロクでもない方に行きがちなのでやめます。

カステラを食べます。

そして世界に束の間のサヨナラ。

 

病院行かなきゃ…う…外に出たくなさであのアパートがもう一度建ちます。

やったね。

銀の匙を投げない

療養としてのお休みをいただいてから3週間になる。

荒みまくってトゲトゲだった心はだいぶなめらかになってきた。

余力があるので家事や料理などを積極的に行うこともできている。

ただ鬱とイライラザワザワは治らない。

薬も効かないしそこは難しい。

大金を投じれば治ると保証されていればいくらだって出すけど残念ながらお金で完治はしない。

 

しかし絶望している場合でもない。

自分なりの上手く付き合っていくコツを掴むしかない。

コツを掴めばなんとかなることもあるはず。

諦めてしまうと結局自分がずっとしんどい毎日を送らなければならなくなってしまうし、ならば諦めないで根気強く上手なかわし方を探して見つけていく方が絶対に得策。

できないはずはない。きっと、必ずできる。

私にはぜひ頑張ってほしい。

 

20年間培ってきたもの、コツコツ積み上げてきたものはそう簡単には崩れないと先日気づいた。

5年かそこらのブランクでダメになってしまったりすっかり忘れてしまうようなそんな軽いものではない。

これからまたやっていく。

そう決めた。固く決心した。

そう思えるようになると途端に未来が明るい。

結局カギはそこにしかない、ずっとわかっていたけれどどうしても心がついてこなかったし苦しい時は拒否感が大きな壁のように立ちはだかっていた。

しかし雪が溶けるように少しずつ冷えすぎた心も溶かされていくものだなと思う。

それをどんなに待ち望んでいたか。

だから私は今とても嬉しいし感謝の念でいっぱい。

 

午前5時、今日のスタートラインに立つ。

モーニンググローリー

肩くらいまで髪切ろうかな。

前回ウルフにしたので上半分くらいは肩ギリギリかもう少し短い。

切ってしばらくはそれすらもつらかったんだけど。

肩より短くなんてたぶん6年くらいしてない。

半分は胸上くらいまであるのに半分が肩より上までしかないということがショックだった、自分でウルフにしたいと思ってしたくせに。

 

なぜ今日もまた4時なんだろ。

あと1時間で早起きの人は起きるよ。

出勤が早い人なんかは起きるよ。

別にもういいやと思って何か食べたりしている。

たぶん今日は眠れないわけじゃなくて眠いし眠れそうな気がするけど、それ以上にお腹がすいたの…。

電池が切れそう…私の。

 

ものすごくつらがっていた事も、ほんの少し視点を変えるとなぜあんなにつらくなっていたのだろうと思うし、そこが安定していないというか。

安定にも収入的な安定とか(仕事)立場的な安定とか(結婚など)いろいろあるけど精神的な安定がないと他の安定を手に入れても上手く維持できなかったりして、だけどすべては絡み合っているのだと思う。

収入が不安定だったり失業したりすればやっぱり精神的に揺り動かされると思うし、結婚は基本的にだいたいの人間がしたいのだろうと思われる+周囲の余計なコメントを寄越してくる人たちや世の中の風潮のおかげで、適齢期になってもなかなかそちらへ人生が進んでいかないとこれまた精神がグラグラしてくる。

それって大きさは人それぞれではあれど誰もが感じる事なのでは。

そうとも限らないのかな。

家庭を持ちたくないという人も時々見かけるけど、結婚が人生の優勝的な位置にある人はわりといるような気がする。

 

で、なんだっけ。

前の職場の他部署の主任は毎朝4時半起きだと言っていた。

言動がいろいろとチャラいけれどその事実だけで一気に尊敬の念が増した。

今、午前4時半。

はぁ…カッコイイですよね毎朝4時半起きで出勤。

まあ定時が16時半だったりしたけど残業になる日も多々あるだろうし繁忙期なんかは大変だろうし。

まあでも、私もまた私で頑張りますのであまり人と比較しすぎて落ち込まないよう。