まだ気づいてないのかも

地図と路線図ばかり眺める日々も一旦お休み、再びバイトに励む日常に戻りこちらに適応しつつあります。これで良いのか…。

 

東京で闘病中の伯母の治療にも色々と変更があり、年末にこちらに帰ってきた時は年明けすぐに東京リターンもしくは2月、という話だったのがなんやかんやと予定が変わり、しかも私はせっかくバイトに復帰したので母は4月にまた東京に行くかもしれないとのことだけれども私は手術の日程が決まり次第、おそらく6月くらいになってからまた東京、という感じになりそう。

なんというか、私も生きていかなければいけないのでずっと東京でヘラヘラしているわけにもいかず。否、ヘラヘラはしていないか、いやどうかなあ。

 

最近とにかく優しくなりたいのと頭の中を煩くさせたくないのとで、より一層情報の取捨選択に重きを置いていてシャットアウトするものも多くなった。

しかしこれが生きるということだと思います。

私にはね。

 

今日はとても疲れてしまっていたけど退勤帰宅後4時間もすれば回復する程度にまでなった。

1年前は毎日その疲れを癒せないまま次の日がきてまた一日中走り回る、という日々が続いて心身ともにしっちゃかめっちゃかだったので。

また違う悩みはあるけどこれはこれで受け入れるしかないんだなあ。

 

NHKのLIFE!という番組であなたの人生はいま何点?というキャストへの質問コーナーが時々あるのだけど、その度に自分はどうだろうなって考える。30点ぐらいかな…数字で表すなんて難しいね、私の人生のあれこれをサインコサインタンジェントで計算してほしい、誰か。

結果が出て数字を見てもきっとよくわからないと思うけど。

5分進んだ時計を見て焦る

う〜、PMSを軽減する薬のために今回は3ヶ月分で6000円強、痛みや体の重さはかなり軽減されているのでそのあたりは効果あるな〜と思っているのだけども、今回はなぜかめちゃくちゃ精神にきていてもうブレブレ。

どのくらい精神にきているかというと、ここに致死量のラボナとかあったら迷わず飲み干すね、吐き気止めのナウゼリンもあるし、っていうくらいきている。死を求めるレベルです。

中途半端なODがしたいわけではなくて確実なやつを。

でもラボナで生還する人なんてたくさんいるから無理だろうなーと思って終わり。

 

土日は暇店舗にシフトが入っており明日ぁ…平地ならなんてことはない距離ですが急勾配の長い坂がありさらにシフトは20時上がりで田舎の20時は真っ暗でどう考えても自転車は無理です。原付はもう寿命っぽいしVIP通勤です…精神的にはVIPではないです…徒歩1分の多忙店舗が大変素晴らしく思えてきます…。

 

めちゃくちゃ入院したいです、が、もうバイトを長期で休むようなことは二度としたくないなあというか二度としないぞ!と固く誓っているのでそれは無理です。だが院内に守られたい。個室じゃなきゃ無理だけど。

こういう気持ちになる時と、あ〜もう通院したくない8年通って治らないって普通に不治の病でしょ、無理死ぬわ…ってなる時とがあって冷静になるとまあどちらの気持ちもわかる、自分のことだから当たり前か。

 

レキソタンが私を冷静にさせ始めました。

それとも悶々としていることを文字にして吐き出すことで少しはラクになれるのかもしれない、そうなんだろうな。

ちょっと今はTwitterに延々と連投しまくることに抵抗があるというか、2週間離れている間によくわからなくなってしまった。

 

しかしぼちぼち頑張っていこう。

自分という人間に対してまだまだ大きなハテナマークがあるけどもまあ何言ってんだろうね。

安いティーバッグの紅茶、安いスティックシュガー2本、ミルク大量、で充分美味しいミルクティーが出来上がるしマリアージュフレールの茶葉買わなくて良かった…あなた財閥じゃないんですよ?ってなっている。

分相応で無理せずいこ。

 

マチカフェ

2週間、ネットやSNSから離れていた間にたくさんの基本的な考えの変化があって暗いことばかり呟いていたあたまはちょっと何処かに行ったみたい。

素敵な素敵なタイミングで大切な人物からのちょうど良いしかし胸にクる言葉が綴られた手紙が届いたりして、そこから思いを発展させていったのも大きいかな。妹からの手紙なんですがね。ラブ。

 

バイトもオーナーさんが寛大で何度目の復帰だろうか、これからまた頑張るんだとピシッと気持ちを切り替えて、まあでもやっぱり楽しいです。嫌いなわけではない。精神のバランスが大切、そこが難しいところではあったがそういうのも重要な部分をこの2週間で掴みかけた感がある。

いまは人手が足りていない店舗にほとんどシフトが入っていて、そこは前の鬼のような忙しさの店舗とは違ってカームダウンできる余裕があるので殺気立たなくて済むなあと。

週1で以前の多忙店舗に入るのですがまあなんだこれは、ひどいね、でもここでずっとこれをこなしていたからどこの店舗に行っても困ることはないので有り難くはある。

3ヶ月の間にメンバーもさほど変わっていなくて先日も懐かしの面々とわあわあ言っていたらいつの間にか退勤時間になっていましたという感じ。

だから忙しくても多忙店舗の方がなかなか楽しくはあったりするのですが、とりあえず今月はゆったりのんびり暇店舗勤務がメイン。

しかしまあこれはこれでいいのです。

 

東京行きもしばらく保留ということで、ぼちぼちしっかり生きていくよお、ここで。

2月ももう半分が終わったのです。

春が近い。

 

 

25歳じゃなくても

突然わかってしまったのですが決定的な違いはあの子は同属嫌悪を抱いていない。

私は同属嫌悪が本当に凄くて、故に精神専門の病院がどうしても無理で。

7年通院している今の病院に勤務する理学療法士の元彼と別れた直後、あまり大きな病院ではなく少数精鋭って感じのところなので隔週の通院だと元彼にバッタリしてしまうことも多々あるし、ましてや入院なんかしたら毎日各部屋を回って老人相手にリハビリしたり(老人相手なので声が大きめだし病棟広くないのでめちゃくちゃ聞こえてくる)忙しそうに走り回っている姿を嫌でも目にしてしまう。

足音すら覚えているから気配を感じるのがとにかくつらい。

それが理由で一度病院を変えようとして精神専門のところに入院しようと予約もしていたけど、なんというか、待合室にいる人たちから漂う鬱々混沌とした空気が無理すぎて余計あたまおかしくなる!ってなって結局転院するのやめた。

 

今の病院は他の科もいくつかあって待合室にも自分みたいな人はめったにいないしほとんどがお年寄りだからまだ気が楽だし自分には合っているのだと思う。

入院しても一般病棟だから不安が押し寄せてきても看護師さんにはどうにも弱音を吐いたり頼ったりすることが出来ず、主治医にSOS出すことしかできないけど私の専属なわけではないのだからそれも遠慮してしまうし。

臨床心理士さんは時間に少し余裕ができた時、週2回くらいは部屋に顔出してくれて、なんか何喋っていたのか全然覚えていないけどベラベラとどうでも良さそうなことを喋っていた、私が。

 

病室が私のお城だったりしたけどいつまでもそんなこと繰り返すわけにもいかないし、じゃあ私はどうすればいいんだろう。

考え過ぎてもだめ、考えなさ過ぎてもだめ。

 

最近のお気に入りはInstagramのもすだよーさんです。

 

三村エレジーは鳴り続ける

新年がどのようにめでたいのか、誰か説明してくれと思ったけれど説明されたところでまったく聞く気がない。

 

心療内科領域ではよく「気づき」などの言葉がやたら出てくるが、そこまでガチな気づきではなく、あ〜もう本当に懲りないな〜という程度の気づき。

執着というワードを使うとなんだかパーソナリティー障害感が強いので引きずりまくっているというのが一番その通りそのままかな。

 

元彼は私が7年通院している病院で理学療法士として勤務していて、私が脚を骨折して入院していた時のリハビリ担当だったところから恋愛に発展した。

別れてから何年も経つのに未だ私が彼の現在の動向を逐一知ることができるのは、隔週で彼の勤務先に通院しているというのもあるが、数年前にこの病院のHPが一新されたことが大きい。

リニューアルしたのをきっかけにスタッフ日誌なるものが掲載されるようになった。

あまり大きな病院ではないため、院内行事などの記事に載せられている写真には度々彼が写り込んでいる。

職員の中でも盛り上げ役であることもあり、つい先日開催されたクリスマス会の写真ではトナカイの着ぐるみを着て写っている写真が数枚あった。

 

他にもそれぞれの科ごとにスタッフ紹介のページもあり、リハビリテーション科のメンバーの写真も何度か更新されその度に、どの写真も全部かっこいいのですが…と泣きそうになってしまう。

 

彼がSNSをやっていなくてもこんなところから情報がどんどん入ってきてしまう。

私としてはスタッフ日誌、大変有り難いのですが、逆の立場だったら嫌じゃないかなあ。

でも私はこれからも覗いていきますので。残念ながら。

 

忘れる気が更々ないんです、どんなに悲しくてもきっとそれがすべての原動力になっているから。

今年も拗らせていきます。

はっはっは。

14階がここに

正しい事はわかっている。

やるべき事もわかっている。

迷うかもしれないけれど、既に散々迷ったけれど、必ず帰ってくると自分でもわかっている。

ずっとずっとわかっていた。

わかっているゆえに苦しかった。

苦しくなるとは予想していなかったから、大変だった。本当に困った。途方に暮れた。

 

冷めた心と思いきや、冷静沈着できちんと大切なものを見極めることができるようになったのかもしれないよ。

人は人でね。

違うの関係ないの。

この命を差し出してでも。

常にそういう覚悟で生きているはずだということをうっかり忘れる。

思い出して毎日。

 

死にたいのは。

結局両方を包含した状態で話せる対象なんて、どこにも無い。

なんてことは無い。

ひとつだけ、あるから、ちゃんとあるから、だからそれを忘れてはだめ。

泣いてもいい叫んでもいい、信じて愛して。

 

アタマが忙しそうでそうでもない

11/9に東京に来て、毎日のように伯母の入院している病院に通い、5日間地元に帰って病院に行ってからまた戻ってきた。

あと1週間でまた地元に帰る。

年末年始を向こうで過ごし、その先のことはまだわからない。

 

で。

今日一番の収穫があった。

収穫というのは精神的収穫。

元々、自分の居たところ、本来居るべきところ、だいぶ忘れかけていたけれど、完全に忘れていたわけじゃない。

そりゃそうです。だって20年。

気づかされたから。

 

いつかSNSをやめ、自分が集中すべきものに打ち込んでいくよ。

少しずつだがたまには無理もしなきゃならないのか、ちょっとその辺はよくわかりません、今はまだ。

死んでる場合じゃなくて、でも死のうかなってなる。

そういう感情は適当に飼い慣らして、死ねるかもしれないし生きてしまうかもしれないし。

 

楽しくない。

でも世の中に楽しいことなんてある?

歪んでるから楽しいはずのことも、別にこんなのなくても死ねたらそれが一番私は幸せだよって思ってしまう。

 

大変良い気づきがあったことについて書いていたはずがいつのまにかまた希死念慮の話になっている。

いつか過去をすべて忘れられる日が来る。

あんな無駄な無駄な無駄な無駄な…すべて。

でも深夜だからどうしても死に軍配が上がっちゃうよ。

いいよ、別に。